窯主エッセイ
三浦小平二先生との出会い PDF 印刷 Eメール
作者: 青木 清高   
2011年 9月 02日(金曜日) 08:00
出会いが人を成長させるという言葉がありますが、私が青磁に取り組むきっかけとなったのは、一人の偉大な人物との出会いに始まります。今から30年ほど前私は、父と同じ表現方法の天目の花器で日展に初入選致しました。会場の東京都美術館に喜び勇んで出向いたのですが,私の作品の前に数人の人が集まってなにやら話をしておられました。そしてその中の一人の中年の男性の「この黒い作品って、青木龍山の息子じゃないの、親父のそっくりじゃん」そんな会話が聞き取れました。私はその場にいることがとても恥ずかしく思えて、(いまなら、世襲とはそんなもんだとか適当に開き直るところですが、やはり若くて純粋だったんだとおもいます。)すぐさま会場を離れました。気が付けば東京の 街をあてもなく電車に揺られていました。「これからどうしょう、借り物ではこの世界は通用しないぞ」自問自答するその言葉だけが頭の中を駆け巡っていまし た。そうこうしているうちに以前日本工芸会の図録で見た三浦小平二という人物の青磁の作品が脳裏をよぎりました。他の追随を許さない気品あるその美しさはずっと私を虜にしていました。たしか国立に窯をお持ちとのこと、都内の先生なんだと気づき、今思えば大変失礼な話なのですがな んの紹介状も持たず三浦先生の工房を訪ねたのでした。その日の美術館での出来事を話したところ、初対面で唐突な訪問にも関わらず先生は「俺も昔、日展に出 してたよ、初入選かとにかくおめでとう、龍山さんも喜んでるだろうね、私が言えることは今は君が作りたいものを作ればそれでいい、それがたまたま親父さん の天目ならそれはそれでもいいし、若いんだから、これからだ」今いくつ「26です」と私が答えると「羨ましいね」少しずれ落ちたメガネを直しながら三浦先生はそう話されました。その日は何かとてつもない勇気をいただいたことを覚えています。
三浦先生に私は弟子入りしたわけでもなく、芸大で青磁についての講義を受けたわけでもありませんが、自分を青磁の世界へと誘ってくれた偉大な人物だと思っています。日展に青磁の作品で出品したのはそれから5年後のことですが、あるとき、三浦先生と同じ大学で教鞭を取っておられた私の先輩からとても嬉しい話を聞きました。それは三浦先生も日展の会場に足を運ばれるときがあるとあの時以来ずっと私の作品を観ておられたとのことでした、そして時には、今度のは努力のあとが見えたとかの感想を話されておられたということでした。残念なことにその話を聞いた時は三浦先生は故人になっておられたのですが、道に迷った時に頂いた先生の教えは今も私の心の中に生きています。
 

 

 

■作品解説中の自分      青木清高 2011年9月1日

 

 

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最終更新 2012年 10月 20日(土曜日) 19:54
 
『父 青木龍山』 陶芸作家としてのめざめ PDF 印刷 Eメール
作者: 青木 清高   
2011年 8月 27日(土曜日) 00:00

 昭和20年代後半~30年代後半 

 

第二話(全六話)

陶芸作家としてのめざめ

 

 

写真:陶磁器デザイナー時代、森正洋氏と  昭和20年中頃
 

写真:日展初入選 昭和29年

将来は、青木兄弟商会が、一生の職場であると意を決し帰郷した父は独立を余儀なくされたのでした。会社の負債のため住まいも工場も全てが競売にかけられ、人手に渡りマイナスからの厳しいスタートになりました。

独立したばかりの父は絵が描けるという才能を生かし、有田町や、波佐見町の窯元でデザインの仕事をしました。しかし、デザイナーとしての仕事は同じ窯で働く職人さんにはなかなか理解してもらえず、即ヒットにつながらない商品は窯主さんに小言を言われることになり、しまいには給料も「いりません、もうよかです」と言って帰ってくることもあったそうです。結局、車の運転ができない母が数時間をかけて、バスを乗り継ぎ、かわりに受取りにゆくこともあったそうです。

窯元の商品開発とデザインを手がけて行く中で自然に自分の作品を作りたいという気持ちが日に日に芽生えてきたのでしょう、父の目は公募展に向けられてゆきました。

 

写真:祖父滋雄と綾子 昭和30年代中頃

その中でも何とか自分を試したいと目標にしたのが、日本で最大の公募展である日展でした。しかし、せっかく作った作品を焼成するにも自宅の窯は既に人でにわたりどうにもできない、そこで父、母、祖父の3人は破損しないように大事に毛布にくるんだ作品をリヤカーに乗せて、知り合いの窯元を一軒、一軒訪ねて、窯入れをお願いしたのでした。その頃は、昭和20年代の後半陶芸家という言葉さえこの街ではまだ定着していなかったのではないでしょうか。

当時の父の出品作品は特に大物が多く、どの窯元でも断られていたそうです。

しかし、そんな中でも両親や祖父の思いにこたえて、快く引き受けて下さる気前のいい窯主さんもなかには居ました。

 

 

 

第一話  『父 青木龍山』 独立から結婚まで
第二話  『父 青木龍山』 陶芸作家としてのめざめ
第三話  『父 青木龍山』 日展初入選から龍山窯の誕生
第四話  『父 青木龍山』 特選受賞
第五話  『父 青木龍山』 二人三脚
第六話  『父 青木龍山』 龍山と有田のまち

 

 

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最終更新 2011年 10月 05日(水曜日) 13:06
 
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