窯主エッセイ
初期伊万里への想い。 PDF 印刷 Eメール
作者: 青木 清高   
2011年 8月 23日(火曜日) 00:00

初期伊万里についての学術的な説明は、皆さん今まで何度も聞いたことがあると思いますので、ここでは初期伊万里に対する私の思いを綴ってみたいと思います。

400年近く前に、李朝の陶工が、有田の地で韓半島の故郷を偲びながら作ったとされる当時の焼き物に私は、誰に知られることもなくひっそりと山野に咲く花のような美しさを感じます。現代のような秒刻みの時の流れとは違い、400年前の時間の流れの中川辺の唐臼小屋で、手間暇かけて陶石を砕き、現代のようなモーターの回転ではなく蹴ろくろで成形されるため、陶工の息使いが器形の隅々まで現れています。2011年の現代上手な画工さんやろくろ師さんは沢山居ますし、原料にしても電話ひとつで宅配までしてくれます。またその分析値に至っては0.00%まで出せます。

私は今まで無謀にも何度かこの初期伊万里の再現に挑戦しましたが納得のいく作品はできませんでした。そしていつの頃からか、400年前のその時代、その空気の中でしか再現は無理であるとの結論に達しました。当時の陶工の心までは写し取ることはできません。数々の名品を生み出した小溝窯跡、天神森窯跡、百間窯跡も私の窯から目と鼻の先に位置します。

400年前それらの窯では、日本語を中心に一体どんな国の言葉が交わされていたのでしょうか?朝鮮語、中国語、ひょっとすると東インド会社の人々のオランダ語色々と想像は尽きません。そして思案に暮れた時、私は初期伊万里の伝世品を手にとって眺めます。そこには長い時代を生き抜いてきた強い力が感じられます。そして、当時の帰化陶工の苦労も、そんな時自分の苦労などは、とても小さく見えてきます。

 
■写真の説明
初期伊万里双兎絵皿(1620~1630)
この頃の磁器は鉄粉こそ多いが極めて明るく白い、呉須の色も鮮やかである、純度の高い呉須が有田に入ってきたのだろうか。
青木龍山コレクション
 
 
最終更新 2011年 8月 23日(火曜日) 22:32
 
『父 青木龍山』 独立から結婚まで PDF 印刷 Eメール
作者: 青木 清高   
2011年 8月 17日(水曜日) 00:00

 昭和20年代中頃~30年代初め 

 

第一話(全六話)

独立から結婚まで

 

 

写真:青木兄弟商会遠景 明治20年代後半
 
写真:青木兄弟商会工場内風景 大正時代初め頃

我が家の歴史については、このホームページの中でも既にご紹介致しておりますが明治、大正、昭和の各時代を通して隆盛を極めた、青木兄弟商会も昭和25年頃より会社の経営に暗雲が見え始めます。

 

写真:東京映画会社時代 昭和25年頃

写真:美術教諭時代法政女子高にて 昭和26年頃

その頃東京で、多摩美術大学を卒業したばかりの父はそのまま東京に残り高校の美術の先生になりました。その前は映画会社の舞台美術の仕事などもしており一時期本気で映画関係の仕事を一生の仕事にと考えていたのでした。

とにかくその時代に培った様々な人たちとの出会いや経験がその後の人生の貴重な糧となりました。若い可能性を胸に好奇心に輝いていた時代だったのでしょう。しかし結局、会社再興のため祖父に呼ばれ、故郷有田に戻る事になりました。それから青木家の一族は、団結して会社の立て直しに奔走するのですが、昭和32年事実上倒産し経営は人手に委ねられました。

 

私の母は、その前の年に町内から父のもとに嫁いできます。有田は狭い町です。「青木兄弟商会が危ないそうだ」との噂は母にもその家族にも入っていたそうです。

あの時代、そのような状況の中で嫁いできた母は、今考えれば我が家にとって地獄に仏だったのかもしれません。

写真:結婚当時 昭和31年

 

 

 

第一話  『父 青木龍山』 独立から結婚まで
第二話  『父 青木龍山』 陶芸作家としてのめざめ
第三話  『父 青木龍山』 日展初入選から龍山窯の誕生
第四話  『父 青木龍山』 特選受賞
第五話  『父 青木龍山』 二人三脚
第六話  『父 青木龍山』 龍山と有田のまち

 

 

にほんブログ村 美術ブログ 陶芸へ
にほんブログ村

最終更新 2011年 10月 05日(水曜日) 13:06
 
«最初212223242526272829最後»

21 / 29 ページ

このサイト内の文章や画像を無断転載・無断引用、営利目的の使用を禁じます。

Copyright © 2024 青木龍山清高工房. All Rights Reserved.