作者: 青木 清高
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2011年 9月 15日(木曜日) 09:25 |
昭和40年第初め~45年頃頃
第四話(全六話)
特選受賞
写真:制作中の龍山 昭和45年頃
父の、日展での目標は、特選を受賞することでした。当時、日展には、10回の入選で会友、特選を1回受賞してその後、審査員を1回務めると、初めて会員となり3回務めると評議員になるという制度がありました。その第一の関門が、何といっても特選の受賞なのです。父はこれまで、昭和36年に「激浪」、そして43年に「波濤」44年に「融心」、と3回も特選候補に選出されますが、今1歩のところでその夢が叶いませんでした。この特選受賞につながらないのは「なぜだろう」と考えたそうです。そして、あまりにも特選を意識することにより、肩に力が入りすぎていた自分に気がつきます。「とにかく、すべての野心を捨てよう、これから先は作りたいもののみを作ろう、まず自分が樂しまなければその感動を、人には伝えられないから…」と開き直ったそうです。
写真:日展出品作品「豊」製作中の龍山 昭和46年
当時中学2年生だった私は、父が楽しげに作品のデッサンに陰影をつけながら取り組んでいたことを覚えています。その年、昭和46年に出品した作品、「豊」は磁器ではタブーとされた叩きの技法が用いられていました。凜と張りつめたその器形はロクロで出せない緊張感がよく出ています。しかし地元の研究会では、東京より指導にこられた先生に、「基礎からやり直したほうがマシかも」との手厳しい批評を受けます。失意の末に出品したのですが、発表があるまで、母と「今度はダメかもしれない入選も難しいだろう」と話していたそうです。
写真:第三回日展特選受賞作品「豊」 昭和46年
そんな時、京都の先生から1通の電報が届きます、「トクセンオメデトウ、オヨロコビオサッシイタシマス」との文面だったそうですが父とは母は、「トクセン」ではなく「ラクセン」の間違いだろうと思い込んでいたそうです。その後正式な通知が日展より届き、改めて、その喜びをかみしめた事と思います。しかしその時、審査に出られた、どの先生が、父を特選に推挙してくれたのか全然わからなかったそうです。それがわかったのは、なんとそれから、30年も後のことでした。
この特選受賞作「豊」は、後の、豊シリーズの原点になった父の代表作の一つです。
第一話 『父 青木龍山』 独立から結婚まで
第二話 『父 青木龍山』 陶芸作家としてのめざめ
第三話 『父 青木龍山』 日展初入選から龍山窯の誕生
第四話 『父 青木龍山』 特選受賞
第五話 『父 青木龍山』 二人三脚
第六話 『父 青木龍山』 龍山と有田のまち
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最終更新 2011年 10月 05日(水曜日) 13:04 |