窯主エッセイ
『父 青木龍山』 龍山と有田のまち PDF 印刷 Eメール
作者: 青木 清高   
2011年 10月 05日(水曜日) 00:00

 平成17年文化勲章授章前後 

 

第六話(全六話)

龍山と有田のまち

 

写真:絵皿制作中の龍山 平成16年

白磁の街、有田で、父は黒を追い続けました。有田の異端児と呼ばれることもしばしばありましたが、今改めて、その作品を一堂に見て強く感じるのは、よくまあ、これだけ表現方法の違う作品を同じ人間が作ったものであるという事です。

一度作り上げたスタイルとは翌年には決別し、また新たな表現方法にチャレンジする。一所に留まってしまう事が、とても怖かったのかもしれません。そのことは、陶芸家として立派すぎるほどの肩書きをいただいた後、亡くなる直前まで貫き通しました。

そこに青木龍山という陶芸家の真摯な姿勢が見えます。60数年に及ぶ作陶人生の中で父は有田の伝統的な技法を駆使しています。それは、作品群全体の根底をなすものでその結果たどり着いた表現方法が、天目による造形美だったのです。

 

写真:工房にて、龍山と綾子 平成16年

昔、有田の街の中にあってあえて黒をやる理由について質問されました。「好きだからです、それ以外に何もありません」と、そっけなく答えていましたが、晩年のインタビューの中では、有田の街に対しての感謝の気持をしきりに述べています。それは作陶人生の最終章で天目という港に辿り着かせてくれたこの街の焼き物の歴史に対しての畏敬の念であり感謝の気持ちだったのでしょう。

 

写真:文化勲章親授式の日 平成17年11月3日

平成17年11月3日、父と母は文化勲章の親授式のため、上京します。母にとってこれが最後の父との仕事になるとは誰も知りませんでした。帰ってきた母は、皇居での出来事をひとつ、ひとつ、私たちに話してくれました。全てがおめでたく、楽しい話ばかりでした。しかしこれから訪れる夫婦の運命を悟っていたのか、母の目には、うっすらと涙が浮かんでいました。親授式の日から6年が過ぎたくさんの物語を秘めた作品はこの街の県立九州陶磁文化館にあります。

おわり

 

 

用語説明 [ 天目 ]

天目釉は、鉄釉を基本とした黒色の釉薬である。天目とは、もともと、中国浙江省の山の名で、当時の禅寺より、宋時代に日本に黒色釉の茶碗がもたらされ、この種のものを天目と呼ぶようになった。本来は高台が小さく朝顔形に口の開いた黒色釉の茶碗をさすが、その後、天目釉(黒色釉)と天目形茶碗のように、釉薬と形が分離して用いられるようになった。青木龍山の場合、「天目」とは、この釉薬を意味している。

 

 

 

第一話  『父 青木龍山』 独立から結婚まで
第二話  『父 青木龍山』 陶芸作家としてのめざめ
第三話  『父 青木龍山』 日展初入選から龍山窯の誕生
第四話  『父 青木龍山』 特選受賞
第五話  『父 青木龍山』 二人三脚
第六話  『父 青木龍山』 龍山と有田のまち

 

 

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最終更新 2011年 10月 05日(水曜日) 13:09
 
『父 青木龍山』 二人三脚 PDF 印刷 Eメール
作者: 青木 清高   
2011年 9月 25日(日曜日) 00:00

 昭和45年頃~平成21年頃 

 

第五話(全六話)

二人三脚

 

写真:「豊」シリーズ発表時代の龍山 昭和50年

父は、日展特選受賞後、「豊和」、「豊延」、「豊容」、と次々に生涯の傑作とも言える作品を発表してゆきました。晩年、母は展示場を訪れたお客さんを前に、身振り手振りを交えながら、その頃の作品ができるまでのエピソードを、まるで昨日のことのように説明していました。私は、また始まったか、位にしか思っていませんでしたが、今思えばもっとちゃんと聞いておけば良かったと、とても後悔しています。家族の苦労があってまたいろんな人たちの温情があったからこそ、誕生した作品ばかりです。

だから、これらの作品をどれだけ苦しくても売却せず、我が家に残そうと務めた両親の気持ちは良く理解できます。あまりにも思い出が多すぎるのです。

 

 

写真:「豊」シリーズ発表時代の龍山 昭和60年

父が日本芸術院会員に、任命されたとき、母は新聞の取材を受けました。表舞台に滅多に出てこない人でしたがそのインタビューの中で、これ迄を振り返り、「貧乏はしましたけど、決して惨めではなかったです、できれば、もう一度あの頃の体力に戻って主人の作品づくりのお手伝いがしたいものです」若い頃より力仕事ばかりの手伝いで、母の背骨は、相当のダメージを受けていたのでした。亡くなる直前まで父の作品の一番厳しい批評家だった母特にその頃が懐かしく思えたのでしょう。これだけの作品を我が家に残せたエネルギーは、その言葉に集約されているように思えます。

 

写真:工房にて 峰松忠治氏撮影 平成5年

実に多くの出品作品が半世紀近くも、我が家に残っておりました。これまでも企画展や回顧展で我が家にトラックが横付けされて、大量に搬出されることもありましたが今回の佐賀県への寄贈に関しては、もう二度とこの家に戻ってくることはないのかと思うと、両親をこの家から送り出した時の記憶と重なり、涙がこみ上げてきました。

これまでの父の仕事を、連綿と続く有田の歴史の流れの一つと捉え、次世代の作家に確実に受け継がれることを願い、またいつでも鑑賞してもらうことができるよう我々兄妹は佐賀県立九州陶磁文化館に寄贈いたしました。現在は作品の下図とともに展示されております。みなさんも是非お出かけください。

 

 

 

第一話  『父 青木龍山』 独立から結婚まで
第二話  『父 青木龍山』 陶芸作家としてのめざめ
第三話  『父 青木龍山』 日展初入選から龍山窯の誕生
第四話  『父 青木龍山』 特選受賞
第五話  『父 青木龍山』 二人三脚
第六話  『父 青木龍山』 龍山と有田のまち

 

 

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最終更新 2011年 10月 05日(水曜日) 13:05
 
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