作者: 青木 清高
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2012年 2月 07日(火曜日) 13:25 |
今日は、有田古陶磁研究会の勉強会が有りました。私も出席できないことも多くみなさんには久しぶりに会いました。
今回は私の先祖と深い関係がある外尾山窯跡の調査ということで万難を排して参加いたしました。
■解説 藤巻製陶所の藤本覚司さんのお話と、歴史民俗資料館の村上先生の1991年に実施された調査報告もありました。
(藤本さんの御宅も代々外尾山窯の窯焼きです。)
■解説 1600年初頭~明治末迄の複数の,登り窯跡の全体的な位置関係を確認している様子です。
有田古陶磁研究会は今から7年前に出来た会です。14代今泉今右衛門さんを会長に、月に1回研究会が開かれています。
この日は源右衛門窯社長の金子昌司さん、将来の15代柿右衛門、酒井田浩さん、陶祖李参平の直系で末裔の金ケ江参平さん、香蘭社の深川祐次さん、私が師事した清六先生の孫の中村清吾さん、そして、この会の事務方をやって頂いている椛島康正さん、が有田町歴史民俗資料館の村上伸之先生の最先端の発掘調査報告を聞きました。今日、欠席している会員も重要無形文化財保持者(人間国宝)の息子さんや、有田の大手企業の重役さん、大きな料亭の御主人など、確実に、有田をこれから、引っ張ってゆく人たちばかりです。
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最終更新 2012年 3月 09日(金曜日) 07:55 |
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有田焼創業400年を前にして、我が家の歴史を振り返る。 |
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作者: 青木 清高
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2012年 2月 02日(木曜日) 17:22 |
4年後の2016年、我が町有田は、有田焼創業400年を迎えます。今、街はその準備で活気に溢れています。
私も青木龍山・清高工房が誕生するまでの、江戸時代からのわが家の歴史をホームページの中で紹介していますのでぜひご覧ください。
ここに紹介するのは、明治から大正にかけての輸出用の青木兄弟商会時代の製品です。洋食文化もそれほど浸透していなかった明治期の有田で、これらの食器を作った当時の職人さんたちは一体何のために使用するのかを理解して作っていたでしょうか?しかしながら、窯主の図面どおりの、極めて薄くしっかりしたろくろ細工と絵付けを見ると、日本磁器発祥の地の職人魂を感じます。
■解説 これは我が家に残る数少ない輸出時代の製品、何らかの難があり上絵付けまで行っていません。未完成ながらも、藍の色と余白のが美しい調和を見せています。(明治~大正期)
■解説 明治30年代に入って曽祖父兄弟が本格的に輸出に乗り出した頃のティーカップ、消費地が海外だったためか、なかなか、伝世品に会えません。(明治~大正期)
■解説 国内向けの製品にはこの、角の中に青のマークが用いられてました。100年にわたり製造され続けたため、国内向の製品は いろんなところで見かけます。そういえば青木製の食器は、NHKの朝ドラの食卓シーンで登場してました。
■解説 輸出用の製品の裏銘です。(大日本肥前有田青木製)と記されています。
■解説 輸出用の製品の裏銘です。アオキブラザーズカンパニー(ABC)と記されています。
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最終更新 2012年 2月 03日(金曜日) 08:44 |
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