窯主エッセイ 『父 青木龍山』 陶芸作家としてのめざめ
『父 青木龍山』 陶芸作家としてのめざめ PDF 印刷 Eメール
作者: 青木 清高   
2011年 8月 27日(土曜日) 00:00

 昭和20年代後半~30年代後半 

 

第二話(全六話)

陶芸作家としてのめざめ

 

 

写真:陶磁器デザイナー時代、森正洋氏と  昭和20年中頃
 

写真:日展初入選 昭和29年

将来は、青木兄弟商会が、一生の職場であると意を決し帰郷した父は独立を余儀なくされたのでした。会社の負債のため住まいも工場も全てが競売にかけられ、人手に渡りマイナスからの厳しいスタートになりました。

独立したばかりの父は絵が描けるという才能を生かし、有田町や、波佐見町の窯元でデザインの仕事をしました。しかし、デザイナーとしての仕事は同じ窯で働く職人さんにはなかなか理解してもらえず、即ヒットにつながらない商品は窯主さんに小言を言われることになり、しまいには給料も「いりません、もうよかです」と言って帰ってくることもあったそうです。結局、車の運転ができない母が数時間をかけて、バスを乗り継ぎ、かわりに受取りにゆくこともあったそうです。

窯元の商品開発とデザインを手がけて行く中で自然に自分の作品を作りたいという気持ちが日に日に芽生えてきたのでしょう、父の目は公募展に向けられてゆきました。

 

写真:祖父滋雄と綾子 昭和30年代中頃

その中でも何とか自分を試したいと目標にしたのが、日本で最大の公募展である日展でした。しかし、せっかく作った作品を焼成するにも自宅の窯は既に人でにわたりどうにもできない、そこで父、母、祖父の3人は破損しないように大事に毛布にくるんだ作品をリヤカーに乗せて、知り合いの窯元を一軒、一軒訪ねて、窯入れをお願いしたのでした。その頃は、昭和20年代の後半陶芸家という言葉さえこの街ではまだ定着していなかったのではないでしょうか。

当時の父の出品作品は特に大物が多く、どの窯元でも断られていたそうです。

しかし、そんな中でも両親や祖父の思いにこたえて、快く引き受けて下さる気前のいい窯主さんもなかには居ました。

 

 

 

第一話  『父 青木龍山』 独立から結婚まで
第二話  『父 青木龍山』 陶芸作家としてのめざめ
第三話  『父 青木龍山』 日展初入選から龍山窯の誕生
第四話  『父 青木龍山』 特選受賞
第五話  『父 青木龍山』 二人三脚
第六話  『父 青木龍山』 龍山と有田のまち

 

 

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最終更新 2011年 10月 05日(水曜日) 13:06
 

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