作者: 青木 清高
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2011年 7月 13日(水曜日) 00:00 |
この有田の街で、生きてゆくためには、たとえ陶芸作家と言えども、同じ形状の物を何個でも作れるという職人としての技術が要求される。
そこで、父は友人でもあった中村清六先生のもとに、私を修行に出してくれた。ちょうど昭和51年春頃のことである。
10代でこの世界に入られて、後に県の重要無形文化財白磁保持者にまでなられた先生は、大変な苦労人であったが、不思議と辛かった時の話は一切されなかった。先生の工房では、いろいろなことを勉強させていただいた。 先生の偉大なところは、単に一流のろくろ技術の持ち主、継承者ということではなく、それを凌駕した人のみが持てる、物作りとしての品格と、深い精神性にあると思う。
今年は、先生の初盆である。先生の御霊は、迷うことなく清六の地に着かれたであろう。
清六窯での先生と修行中の自分 昭和57年頃撮影
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最終更新 2011年 7月 18日(月曜日) 14:40 |
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作者: 青木 清高
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2011年 7月 06日(水曜日) 16:40 |
私のもう一つの青磁の仕事に、初期伊万里が誕生したばかりの、有田周辺の古窯で焼かれた青磁染付けに強く影響を受けた一連の作品があります。
昔、初代松本佩山は有田の泉山白磁が丘をみあげて父青木龍山にこういったそうです「この山が、みんな青磁たい。」この言葉に私は、青磁の色についてのおおきなヒントを得ました。
■青磁染付け香合 2011年制作
■ぐい呑み各種 2011年制作
■青磁染付け山水輪花鉢 2011年制作
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最終更新 2011年 7月 07日(木曜日) 07:33 |
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