窯主エッセイ
有田焼創業400年を迎えるにあたり、14代柿右衛門先生の話を聞く。 PDF 印刷 Eメール
作者: 青木 清高   
2011年 6月 04日(土曜日) 12:58

先日の、福岡での私の個展に、重要無形文化財保持者の14代酒井田柿右衛門先生が、お見えになられました。

あと5年後に迫る、有田焼創業400年に向けて熱く、お話をされました。「ただのお祭り騒ぎで終わらせてはいけない、それを境にその後どうするのか世界中の焼き物の産地の関心が今、有田に向けられている。」飄々とした語り口でいつも話されるのですが、その内容は核心をついたスケールの大きなお話でした。
柿右衛門先生ご夫妻は私たち夫婦の仲人でもあり、いつも暖かく見守っていただいていることに感謝しています。
 
柿右衛門先生と
(写真は右から、酒井田柿右衛門先生、青木敦子(妻)、青木清高)
 
最終更新 2011年 6月 04日(土曜日) 17:58
 
父の天目の仕事 PDF 印刷 Eメール
作者: 青木 清高   
2011年 5月 17日(火曜日) 17:25

今から、35年ほど前、染錦から、漆黒の鉄釉で日展に出品し始めたころ、父の目を釘づけにしたのが、当時平凡社より出版された天目、という本でした。
その中で、曜変天目のアップの写真にいろいろと想像をめぐらしていました。油滴天目も一般に言う酸化ではなくむしろ還元に近いのではないかとか、その後国宝に指定されている3点は、穴があくほど機会ある度に見ていたようです。 偶然だけの産物なのか?窯の中の冷却時が分刻みで見れないだろうか?精密に温度制御できる機械はないだろうか?今では自動制御も珍しくはないのですが。当時は、窯につきっきりだったようです。平成18年日本橋三越での個展で再挑戦致しましたが、思うようにはいかなかったようです。
晩年父は天目の龍山などと言われてましたが、あまり喜んではいなかったようです。この難解な宿題を持ちつづけていたからかもしれません。

 


■1970年代後 曜変天目 青木龍山作(青い部分は虹色に角度により変化する。)
 

 
■1970年代後半 還元焼成の油滴天目 青木龍山作

最終更新 2011年 5月 18日(水曜日) 15:32
 
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