作者: 青木 清高
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2013年 9月 30日(月曜日) 21:28 |
先日第89回有田古陶磁研究会が開催されました。すでに、89回も開催されながら、なぜか、いまだに、この会の名前は(仮称)なのですが、それだけ、こだわりの強い個性派集団なのかもしれません。さて、今回のテーマは、8月より、9月初めにかけて調査された、黒牟田地区山辺田窯跡に、隣接する色絵工房跡地より出土の180点にも及ぶ、色絵陶片や、赤絵窯の窯壁、人形の土型、それに、1600年代初頭の陶器製品、初期伊万里の発掘品などの、研究でした。
解説に当たられた、歴史民俗資料館の村上伸之先生の解説は、多くの陶片の伝製する物との共通点、中国の製品との関連性さらには、それが、日本独自のデザインに進化して行く点など、興味をそそる内容ばかりでした。
色絵の始まりについては、皆さんご存じのように、諸説あり、歴民スタッフの方々が、かなり慎重に膨大な数の陶片を水洗いされているのがとても印象的でした。
■写真説明 色絵陶片
■写真説明 伝製品との比較
■写真説明 左から、金子昌司氏 酒井田浩氏 14代今泉今右衛門氏 椛島康正氏 中村清吾氏 撮影は青木清高。この日のフルメンバーは、6名でした。色絵陶片に対する敬意?のためか、正座して、見学中。
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最終更新 2013年 10月 01日(火曜日) 08:05 |
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作者: 青木 清高
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2013年 9月 21日(土曜日) 08:15 |
私の住む有田は、3年後の、2016年、日本磁器誕生400年祭を迎えます。最近、外尾山窯の窯跡から、やや東の方の土手の積み石の工事が有りました。山肌が、ほぼ垂直に削られていたのですが、そこは、今までの造成工事も何度か繰り返されているため時代が上下したりで、完全な物原とは言えないまでも、1610年代の陶器から、明治期のものまで、数多くの失敗作が埋まっている様子でした。
何台かの重機が入り、おまけに、がけ崩れの恐れがあるという事で立ち入りが禁止されていたため、しっかりと見ることはできませんでしたが、一つの谷が埋め尽くされてしまうほどの絶壁の中に、数え切れぬほどの、失敗作や、使い古されて摩耗した窯道具を、遠めですが、見る事ができました。近づき難い、神々しいこの絶壁は、まさに、われわれに400年の歴史を繋いでくれた場所です。
■写真 土手が、削られた状態と、最近、石垣が組まれた状態
昔から、家に有る陶片のなかに、興味深い3個の陶片が有ります。これらの、陶片は、自分が今まで勉強した限りの知識では、すべて、砂目積み高台、1610年代の物のようです。中央と、右端は、ご覧のように、磁器ですが、施釉してある薬が、違います。
中央の陶片には、陶器に施す、土灰透明釉が使われています。そうなると、磁器陶片としては、かなり古いものだと考えられます。
やや時代が下る、右端の陶片には、呉須が使われ、蛇の目剥ぎされている点など、中国の影響が強く表れています。初期伊万里と言われる一連の焼き物は、殆ど、右端のような、青味をおびた釉薬に、移行して行きます。
この狭い街に、当時の有田の人々と共に、韓半島から来た人たち、中国から来た人たちが、磁器の焼成に情熱を傾けていた事を、この3個の小さな陶片が、語ってくれています。
■写真 日本磁器誕生の頃の陶器陶片、磁器陶片
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最終更新 2013年 9月 21日(土曜日) 12:13 |
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