窯主エッセイ 追悼14代酒井田柿右衛門先生
追悼14代酒井田柿右衛門先生 PDF 印刷 Eメール
作者: 青木 清高   
2013年 6月 22日(土曜日) 11:01

14番目の赤に幕がおろされました。
今月6月15日の早朝、14代酒井田柿右衛門先生がお亡くなりになられました。酒井田家は、皆さんご存じのように、有田400年の歴史の上で、歴代の当主が有田の顔として活躍してきた家系です。

手前味噌の話になりますが、私たち夫婦と柿右衛門家との御縁も深く、義父は、18歳の時から定年を迎えた後まで実に60年近く、柿右衛門窯の支配人、取締役として、12代、13代、14代、に仕えてきました。また、義母は工房で、三十年ちかく、赤絵付けの仕事をしてきました。現在は義弟が、支配人として柿右衛門窯に勤務させて頂いています。そんなつながりもあって、今から30年近く前に14代柿右衛門先生ご夫妻に私たちの結婚の際、御媒酌人になって頂きました。そのころ、先生とお食事をすることがあり、その中で様々なお話をお聞きする機会がありました。決して、強烈な自己主張をされる先生ではなかったのですが、淡々と、こんなお話をされたことが一番印象に残っています。

「自分ば取り巻く様々なことから、とにかくひと時でも離れて、ひとりでス―パーのパックの寿司でも買って一日中原野で、納得のいくまで、野草や名もない花をスケッチをすることが、一番の楽しみばい。」
すでにその頃は、14代を襲名されたばかりで、とにかく多忙な日々を過ごされておられたのですが、14代柿右衛門先生の自然を師として敬意を表されておられる謙虚な一人の芸術家としての一面を見せて頂いた気がしました。全てに関して一流を知りつくされておられた14代柿右衛門先生は、いかなる場面でも平常心で、背伸びをされることもなく、その目はいつも、遠い遠い未来を見つめておられるようでした。

 

14番目のバトンは、まもなく、15番目のランナー、御長男の浩さんに渡されようとしています。彼は、先代の強い意向もあり柿右衛門窯を支えていく職人としての修業をしてきたため、個人作家としての公募展デビューが遅かったのですが、もうすでに、20年間の修行を積まれておられます。その腕前はかなりの水準まで到達されておられることが想像できます。将来をじっと見据えておられた14代の想いは、次世代をになう、この眠れる獅子に、確実に受け継がれてゆくことでしょう。

 


■写真 14代柿右衛門先生は、東京や、福岡での私の個展会場に必ず足を運んで頂いていました。これは、2年前の福岡の個展会場でのスナップです。

 

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最終更新 2013年 6月 22日(土曜日) 11:18
 

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