作者: 青木 清高
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2014年 12月 02日(火曜日) 21:20 |
ここに紹介する1枚の写真は、今から80年近く前の、昭和12年11月14日に撮影された青木家にのこる写真です。有田で、陶祖とされている、金ケ江三兵衛(李参平)の墓地改修完成を祝う写真だそうです。
後、昭和34年、地元の郷土史家智者礼一氏により有田、白川地区の共同墓地で、本人のお墓が発見されるのですがそれまでの間、この写真の報恩寺のお墓が李参平のお墓とされてきました。
松浦陶磁報、昭和12年11月15日号には、神近享弐氏による、こんな一文が寄せられてるそうです。
「有田に住む100名に満つるか否かの少人数、しかも、異郷に在って浸々営々粒々辛苦の結晶たる同会積立金の殆ど大半をこの改修資金投じたに至ってはただ感嘆のほかはない」そのころ有田周辺に住む朝鮮半島出身者を中心にこのお墓が建立されたことは、民族衣装を身に着けた女性が写っていることなどからほぼ史実と重なります。私が一番に注目したいところは、当時の有田町長、有田村長も参加して記念のお祝いが開かれたという、昔も変わらぬ陶祖李参平への、国境をこえた人々の畏敬の念です。(向かって左側の門柱前の人物が当時村長だった曾祖父の青木甚一郎です。)
この文章は有田町歴史民俗資料館館長、尾崎葉子先生の皿山No104の文章を参考資料にさせていただきました。
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最終更新 2014年 12月 02日(火曜日) 21:25 |
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作者: 青木 清高
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2014年 10月 15日(水曜日) 08:14 |
有田は、2016年に日本磁器操業400年をむかえます。ここに、400年前の外尾山窯で磁器と共に焼かれた土ものの、山盃があります。
これを見ると、小溝窯や原明窯などの、有田の西部地区より窯業が始まった事がわかります。
外尾山窯の物原の上に建つ我が家の敷地の中で数年前に偶然見つかりましたが、最近金直しをしました。400年の歳月を経て初めて盃と言う用途を得ました。400年祭を見据えて、この盃の平凡な丸い形がとても強く感じられる今日この頃です。
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最終更新 2014年 10月 15日(水曜日) 08:30 |
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